6月 俳句・連句講座

2021/06/17

6月17日は「おいでよ!羽生の杜」俳句・連句講座でした。この講座は毎回新しい方が受講される人気の講座になってます。羽生市内の方より近隣市や都内からの方々が多いのですが定刻前には全員揃い10時から森での吟行が始まります。早速、本日の代表作をご披露します。
葉桜を眺めて思ふ孫の丈        高夫
昼の蚊のうかと止まれるたなごころ   純子
蜘蛛の囲の斑に光る木下闇       徹心
青みかん次男は第二反抗期       陽子
枇杷熟るる視線集めてさらに熟るる   敏枝
蜘蛛の巣を分けてぼくらの秘密基地   千恵子
教会の蚊取り線香二つ三つ       秀男
大き石の海坊主めく夏野かな      了斎
 ここに講師の講評の一部を紹介させていただきます。これは先月のある方の句に対する評ですが俳句理解の一助になるテキストではないかと思いますので少し長文ですがお読みいただければ幸いです。
「それを無理矢理伝えようとすると、抽象的で説明的な言い方になりがちですが、読者にそれが実感的に伝わるかどうかは疑問です。五七五の短い言葉で伝えるのは至難の業で、仮に出来たとしても「云ひおほせて何かある」ということになってしまうかもしれません。
そこが吟行句会の落とし穴で、同じものを見た人には「ああ、あれのことだな」と通じますが、その場合、作者にとっても選者にとっても言葉と実体験が二重写しになっているので、体験していない人にとってその言葉がどう受け取られるかを客観的に判断しにくくなっています。
事実通りに伝えることが作句の目的ではなく、だから「客観写生」とか「映像」という言い方には問題があるのですが、句の言葉によって読者がどういうことを受け取るのかが肝心で、それが事実とずれていても、読者にとって何かの感銘があることのほ
うが、事実通りであることより大事です。添削第二案がそうなっているとも言えませんし、たしかに第一案のほうが事実の感じにはより近いかと思いますが。
これは連句の校合とも似ています。座を共有した人は、座で生まれたその場独特の乗りや興趣を共有していますが、出来上がった一巻を読者として読む人はそれを共有していません。校合は連衆のためだけでなく、むしろそういう読者に「仮想連衆」として座に加わった気になってもらうためにする作業です。だから連衆としての共有体験から少し時間を置いて、自分も少し客観視できるようになってから校合しないとうまく行きません。
俳句・発句の場合は時間を置けばいいというものでもなく、その場でぱっと「天から降ってきた」ような言葉のほうが、あとでこねくり回した結果よりずっといい、ということもよくあります。吟行は、頭を空っぽにして、そういうものが降って来やすい
状態を作る訓練かもしれません。だから吟行はやはり大事な現場です。」
以上です。
 ここで俎上に挙がっている具体的一句は出しませんが、基本的な講師の俳句に対する向き合いがお分かりいただけたのではないでしょうか。私のフェースブックでの拙い紹介では書くことができない内容です。
前期最後の講座になりますが次回は7月15日(木)になります。どなたでも歓迎です。お出かけください。
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